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ギター日記

2001

12月11日

もう12月ですね。早いものです。以前、ある60代の方が
なあ〜、田代君よ〜。俺は2週間前まで40才だったんだぜ!(爆笑)この調子じゃ、あさってには、80になっちまうんじゃねーかな・・
と、のたまっていましたが、なるほど、言い得て妙だと、感心しました。今は亡き、私の愛しい祖母が、ある大晦日の日、しげしげと新聞の日付を眺めながら、
ねえ、あんた。今日は、もしかしたら12月31日かい?」と、僕に聞く。
そうだよ、おばあちゃん」と返答すると、
じゃあ、明日はお正月???」と。
そうだよ」って応えると
ついこの間、お正月をやったばかりなのに、おかしいね〜?明日がまた、お正月なんて???」ですって。
その時祖母は、確か85〜6才だったでしょうか。関東大震災の時、19才で、畑仕事をしていたのだとか。まあ、さもありなん・・・。

さて、残念ながら私も年々、時間の経過が早く感じられるようになっています。今年も早かったな。今現在の環境は、今年のお正月には予想も出来ないほどの変貌ぶりで、月並みですが、目が回る程でした。この季節といえば「忠臣蔵」ですね。「半年先の人心なぞ量れるものか!人の心など、たとえ、なんと誓えど、五里霧中」という、人間の本質を突きつけてくれます。まあ、要するに聖書の「最後の晩餐」と同じですね。
絶対に、この思いだけは変わらない!」同意の事、何度心に誓った事だろうか?と考え、我が身のあまりの意志薄弱にぞっとします。人の価値観なんて、あやふやなもので、全く当てにならぬ、ということですね。だから想いなんて、あるいは空中に叫んでいるようなもので、だんだん空振りしているのに気が付くようになるのでしょうか。もし、それが年をとることなら、やや寂しいものですね。どんなに空振りでも、信じたことに没頭していたいものです。

 

11月21日

9月はお彼岸の時期、理由あって大阪へ行きました。素晴らしいお天気に恵まれ、久しぶりの関西を満喫したのですが、あれから早2ヶ月経つのか?と思うと、いやはや、年を取る割に賢くならないのも、さもありなん・・などど勝手に得心してしまいます。

以前、ゆっくり大阪へ行ったのは、確か21か22才の頃。僕の中学時代からの親友の誘いで、いきさつはこういうわけでした。彼が言うには、彼の通う大学の同級生が大阪の実家に帰っているから(夏休みで)遊びにいらっしゃい・・と言っている。だから、一緒に遊びに行かないか?と誘われたのがきっかけでした。思い立ったが吉日とばかり、その同級生に1本電話をし、翌日には新幹線に乗っていたのでした。
 その同級生(T君)は、お寺さんの跡取り息子で、
京都のお寺の素晴らしさは僕が言うに及ばぬが、大阪のお寺も見てみたらどや?」とおっしゃる。「近所に通天閣もあるでー」と、念を押されてしまえば「早速出かけましょうか」と即答するのが、男の仁義ってもんだ。そこでつれて行かれたのが四天王寺だったのです。 四天王寺には塔があり、その一階部分の壁3面に、お釈迦様が生まれてから入滅するまでの生涯が、簡単ですが壁画になっている。そして、僕はそれに、いたく感動したのでした。その数年後、大阪へ立ち寄った時も、再訪しました。もちろん、今回も行きましたとも。はっきり言って、壁画がどうだ、ではなく、21才のあの頃、ここで感動したという想い出に会いに行くようなものですが。

私事ですが、私の家内は四天王寺高校の卒業生なのです。人生って、本当に、ほんの偶然の集まりなのでしょうか?彼女と二人で久々に(互い共)訪れた四天王寺は、感慨一塩でありましたが、お彼岸故、ごった返していて
また今度、空いてるときに来たいものだ」と思った次第です。まあ、縁日みたいなもんだから、屋台の店が沢山出ている。「ひやし飴」を飲んだり(初体験・旨かった)「イカ焼き」を食べたり。なかなか楽しめましたが、白眉は、古道具屋。なにやら、ギターがそこかしこに並べてある。何軒も冷やかして歩いたのですが、一軒にまあまあ状態の悪くないクラシックギターが置いてある。ちょっと鳴らしてみるとチューニングも2音程低いが、相対的には合っている。この旅行にはギターを持って来てなく、練習もしてなかったので、そこで立ったまま1曲弾いたのです。すると、側で聞いていたおじさんが、
お宅、うまいねー!もうちょっと前へ出て弾きゃー、お金が集まるよ!
なんて。「いやー、他人様の道具で商売しちゃ、申し訳ないから・・・
これは僕。四天王寺で、またひとつ素敵な想い出が増えた日でした。

 

11月3日

最近、良く雨が降りますね。私事ですが、引っ越し騒ぎも雨の中でした。
雨と言えば・・・前回の続きですね。初めの一音でその場の空気、雰囲気を自分のものにしてしまう能力。正しく、世界一を飛び越え、歴史にジャックインした音楽家に共通のものです。私は、あのマイルスのコンサート以来、コンサートに求めるものが変わりました。

良いコンサートは、最初の一音、その一瞬から、正に互いの共有が始まるわけですね。互いの人生、時間、感性などの。したがって、聞く側が曲目を知る、知らない等というのは、あまり重要でなく、その日、その時、互いのバイブレーションの相乗効果として「何が起こるのか?」が最重要であると考えるようになりました。ジャズ的な思考ですが、ジャンルに関係なく同じであると信じています。

まあ、それはさておき、もう少しマイルスのあのコンサートの想い出を続けましょう。当日、あるFMラジオ局が、この日のフェスティバルの模様を編集、放送する事になっていました。同日中の放送ですから、当然、予定時刻通りの終演が大前提になっていたのでしょう。しかし、大幅に時間が遅れ込んだことで、もう編集作業は不能、トリのマイルスのステージを殆どそのまま放送したのでした。私は車で会場へ行っていたので、帰る道々、カーラジオで聞きました。電波状態はあまり良くなく、またロードノイズもあり、はっきり言ってあまり良く聞こえなかったんです。したがって、ソリストの音程度しかはっきり聞こえなかったわけ。すると、エレクトリックバリバリのマイルスバンドにおいても、マイルス自身は昔のアコースティックジャズだった頃に比べて、基本的なフレーズ取りなど、あまり変わっていないことに気づいたんです。これは大発見でした。自身は大きく変わらずとも、周りを適切にアレンジすることで、常に最先端にいること。なんと、頭の良い男だろうと、大変感心したものです。

昨年、文庫版でマイルス自身の語り卸によった自伝を読んだのですが、そういった部分も、裏話も含め正確に(ものすごい記憶力〜これも優秀な音楽家には絶対条件!)かつ詳細にかたられていて、改めて感心しました。マイルスは未だに私の大好きな音楽家であり続けていますが、真剣に対峙すればするだけ、何かを学ばせてくれる、偉大な教師でもあり、尊敬しています。また、彼自身が若かった頃にジャズトランペットの主流だったビバップ・スタイル(要するにディジー・ガレスピーのスタイル)を追わず、(自分は不向きなのを認知し)独自のスタイル確立へと精力を傾けたのも、ほとほと感心します。人生設計にも、おおいに参考としたいものです。長くなってきたので、また次回。

 

10月29日

 「現代ギター」誌の11月号が発売となって、掲載されている拙文をしげしげと眺めてみると、なにやら他人事のような、遠いことの如く思える。作家・開高健の名文「作品は風呂で流れる垢のようなもんですな」を引き合いに出しては分不相応だろうか?、いずれにせよ手を伸ばしても触れそうにない、なにか冷めた温度になってしまっているなー。

想い出だけが残る・・・」は、日本人の歴史の中で育まれた最高の哲学的名言でありましょうが、まさしく、今後年を重ねるたびに「2001年の7月は・・・」なんて、心の中で記憶の濾過を繰り返し、ほんの一滴でも忘れ得ぬ素敵な想い出が残れば、言葉道り珠玉の時でありましょう。私には「忘れ得ぬコンサート」があります。最初のそれは、たしか1987年、読売ランドイーストのオープンシアターで開催された「ライブ・アンダー・ザ・スカイ」(ジャズ系のフェスティバル)で聞いた、というより体験した「マイルス・デイビス」でした。

午後、局地的な集中豪雨が会場をおそい、スピーカーをつっているクレーンに雷が直撃!!という恐ろしいトラブルのため、徹底的に開演がおくれ、トリを勤めるマイルスが始まる頃には、公共交通機関が無くなる時間となり、多くのお客さんは泣く泣く帰ったのですが、トラブル続きのこの日、まだすんなりとは行きませんでした。前のバンド(ガット・ギャング)が終わり、「さあ、マイルスだ〜!」と思いきや、待てど暮らせど出てこない。機材のトラブルで、演奏開始まで結局1時間ほどかかったのでしたが、その間、夕方からずぶぬれになっている観客はかなり怒っていて、険悪な雰囲気が会場全体を支配していました。客席では「責任者を出せ〜(怒・怒・怒・怒)!!!!」という声(叫び?)が、いたる所から上がっていて、「暴動が起こらないかな?」なんて雰囲気もちらほら。

まあ、何とかトラブルも収まりマイルス登場となるわけですが、そんな理由で聴衆の方は、鑑賞意欲は切れてしまっているわけ。しかし!しかし!御大な最初のややフォルテな一音「プッ」にて、会場全体の空気が一気に変わってしまった。全員が、この一音でマイルスに引き込まれたんです。あとは、最後の曲「タイム・アフター・タイム」が終わるまで、まるで自分が津波にでもさらわれていたかの様な、不思議な錯覚を感じました。自分がそこにいなかったとでも言いましょうか。私はこの時知ったのです。「これが本物なんだ!」と。それ以降、コンサートに対する考えが変わりました。人生観にも大きな影響を与えたのでしょう。まさに、「忘れ得ぬ想い出」ですね。続きはまた次回。

 

10月24日

今月は何故か、お休みする生徒さんが多い。原因は「風邪」「骨折」「奥さんが出産」など、まちまちだが、いずれにせよ休む。レッスン時間のひとこま分なら、雑事やデスクワークをしているうちに過ぎてしまうが、二人続くと、ぽっかりと空いた時間になり、なんだかほんのちょっとでもリラックスできるので、貴重な時間だ。もちろん、その分後日忙しくなるのだけれど・・・。

今まで、レッスン当日「今日は行けなくなってしまいました」旨の連絡を、多数頂いていますが、中にはびっくりするような理由もあったな〜。御時世を反映しているな・・・と思ったのは、
先生、今日会社に着いたら倒産していて、何だか今日から色々大変らしい。ともかく、しばらく休みます」なんてのがあった。まあ、人生色々ですね。最近、引っ越しを予定していて、かつ日程なども具体的になってきていて、相変わらず貧乏暇無しを満喫中です。

しかし、お金がかかりますねー。引っ越しって。まあ、心嬉しいこともあるけど、支払い予定を考えると浮かれてばかりいられないです。そんな中で楽しみにしているのは、新しい住まいに、どんなオーディオセットを置こうかしら?などと、懐具合と相談しながらあれこれ考えること。だいたい、買い物なんてものは買うまでが楽しいもので、アーダコーダと思案したり、カタログを穴が空くほど眺めたり、詳しい人に電話をかけ、同じ事を何回も訊ねたり。ましてや、生活必需品ではなく趣味性が高いほど、この楽しみはこくがありますね。今回も、あれやこれやと楽しく悩みました。まだ決定はしていないけど、役者は固まってきたかな〜・・・ってところでしょうか。いずれ御報告申し上げます。

 

10月16日

 最近、忙しい。この間休んだのはいつだろうか?なんて考えると、暑い盛りだったりして・・・。現在の日本国の社会事情、経済状態ならば、「貧乏暇無し」は死語であるはずなのだが、我が家には厳然と居座っている。それもお金が出てゆく一方にさえ思える。何とも心許ない有様だが、致し方あるまい。

年々、日々の経つのが早く感じられ、何とも情けない。パパ(ペペ・ロメロさん)を見ていて感心すること、沢山あれど、そのタフネスにはほとほと敬服する。奥方様の仰せの如く
私達は元気で仕事も順調。でも、とにかく忙しすぎるのよ
は正しく本音であろう。マドリッドで夕食を御一緒し、その足でマヨール広場まで散歩し、オープンカフェにて一杯やったときのこと。あそこは四方を建物に囲まれていて、そこには一般の人々が居住しているわけ。暑い季節は皆さん窓を開けているので、さぞややかましいことだろうと思う。するとパパが
ここに住んでみたいものだな
なんておっしゃる。
こんなうるさい場所に?本気ですか?
とちょっかいを出すと
私はうるさいところでも、平気で眠れるんだよ。かえって安心するくらいさ!
なんて笑い飛ばしていらっしゃる。奥方様も尻馬に乗って
そう、ペペのいびきの方がうるさいわ!」なんて。
 その時思ったのですが、あれだけ飛行機での移動が多く、かつ長距離のため時差にも悩まされるであろうスーパースター、うるさい場所でも寝てしまうことって、仕事をこなす上でも重要な作業なんですね。たしか、何かの本で読んだけど、かの小沢征爾さんも「スリーピーセイジ」のニックネームをお持ちとか。僕は乗り物では、殆ど眠れず困っています。勿論、成田発ヨーロッパ行きの飛行機、眠れたこと有りません。電車で寝ている人、凄く気持ちよさそうに見えるので、一度くらい僕も、と憧れているのですが、残念ながら未経験。一度だけ、あると言えばあるのですが、それは、したたかに痛飲して殆ど失神していた状態。どうやって駅まで行って、どうやって電車に乗ったものやら?記憶にございません。それでも、目的地の一駅手前で目が覚める(気が付く?)なんて、「まあ、なんて気が小さいのであろうか」とあきれたことがあったけど。

先日、大阪へ行きました。その折、新宿発の夜行バスで行ったのです。僕は初めて夜行バスに乗ったのですが、あれは飛行機のビジネスクラスに比べても、ずーっと快適。すこーしうつらうつらと出来ました。しかし、電車で眠ってみたいものです。来年の目標にでもしようかしら。ところで、私事で何かと多忙、ちょうど過渡期でもあり、このホームページの更新も、メールにお返事を差し上げるのも、火曜の午後から木曜の朝までしか出来ません。どうぞ、今しばらくはご勘弁いただきたい。
まあ、そんなところで。

 

10月9日

クラシックギタリストは痔主が多いとか。確かに、毎日長時間、固い演奏用の椅子に腰掛け、なおかつ足台という、まか不思議な姿勢を強要する器具に左足を乗せ、不自然な姿勢をとっている。紛れもなく運動不足のうえ、体重が同じポイントに長時間集まっているのだから、痔になるのも仕方なかろう・・・

職業病での痔主といえば、横綱クラスは「競輪選手」か。僕には定期的に御世話になっているトレーナーの方がいて、彼は現在、頻繁に競輪選手のケアをしているので、その筋では有名な御仁。なんと、以前、都内で就労していた時分は沢山のマスター達を受け持ったという。極真空手創始者の大山先生、チャンピオン時代のガッツ石松さん、柴田邦明さんなど、世界に君臨したそうそうたる面々。そのトレーナーさんから伺った、マスター達の当時の逸話は後日紹介として、今日の所は痔の話。僕は昨年10月末、なんの前触れも無しに痛くなったのです。そこで、そのトレーナーさんに相談したところ、競輪選手の職業病の一つに痔があること、そして概ね重傷であること、等を聞いたのでした。競輪選手の痔は、肛門の周りが殆どタコのように、硬く固まってしまうらしく、手術が唯一に近い、有効な治療手段であることが間違い無い程の重傷なようです。なんだかんだ言っても、痛いらしい。レーサー(競輪用自転車のことはレーサーと言わないと失礼)の、あんなに硬いサドルに一日中またがって、なおかつ激しい全身運動をしているのだから!・・

なぜ、第一回目のギター日記が痔の話かというと、このホームページを超特急で作成せねばならぬ事情があり、可能な限りパソコンの前に座りきりの様な日々が続いたのです。その為に痔が悪化、痛みもひとしおとなってしまった訳。今週は多少良くなったけど、先週はひどくてレッスンを立ってやってたなあ。椅子に座ると痛かったので。

 先ずは突貫工事の理由から説明しますと、「現代ギター」という、クラシックギターを中心に扱った月刊誌があり、今月20日発売予定の11月号に、私の書いた記事(スペイン国コルドバ市主催の国際ギターフェスティバル・レポート)が掲載されるのです。その記事の結びに「ここで書ききれなかったこぼれ話を私のホームページで公開しています」と書いてしまったのでした。(命知らずなことをしてしまった・・・トホホ・・・)その記事を書いた段階では、ホームページ作りというのが、いかなる作業なのかを全く知らなかったわけです。まさか、こんなに大変だとは夢にも思っていなかったわけ。まあ、そのおかげでこうやってHPが出来上がったのだから怪我の功名ですが。

いずれにせよPC音痴の僕が一人でHPなど作れるはずもなく、埼玉県熊谷市の「フジクラ楽器」のH・Fさんに全面的に協力(というより、彼が殆ど重要なことをやってくれた)いただいた次第。この場を借りて、改めて心からお礼を申し上げたい。まあ、そんなわけで「HPイコール痔が痛い」という構図が、僕の中で出来上がったのでした。これが想い出になる日まで末永くこのHPを続けたいと思っています。ちょくちょく見に来てください。