2003〜
12月16日
早いものでもう12月も中盤。今年も残すところ僅かとなり、相も変わらずの忙しさに、あっという間に一日が過ぎてしまいます。
最近、生徒さんをはじめ、私の身の回りで転職者及びその希望者が多いことは以前書きましたが、その気配一向に衰えることなく、多くの方が離職、再就職なさっております。
その中でも20代の人から転職について相談されることが多く、私でお役に立てればと色々と話をする機会も多くありました。
その悩みを集約すると、「今やっている仕事は誰かの役に立っているのだろうか?現状が続くことに価値を見いだし、満足できるのか?自分は何に向いているのか?果たして自分は何をすればよいのか?」と言ったところ。
で、「何故私に相談するの?」と聞けば「自分の身の回りでサラリーマンじゃない人が先生だけだ」とか「好きなことを仕事にしている知り合いは先生だけだ」とか。
確かに私は自分の一番好きなことを仕事にしてしまいました。睡眠に次いで仕事は人生の大部分を捧げる(単純に時間的にも)訳だから、やはり自分に向いていて、且つ自分の好きなフィールドを職業に出来れば、ある意味、幸せでしょう。
当然、様々な方から羨まれる訳ですが、まあ確かに、なりたいったって、そうそうなれる職業じゃ無し、まあまあ、自分でも幸せだしラッキーだったと思っております。
ただし、私が今まで賭けてきたものを思えば、あながちラッキーだけじゃぁ無いことは御理解いただけるでしょう。私は12歳の時にギターを始めましたが、自分で稼ぎ始めるまでは両親の稼ぎの一部を、また、自分で稼げるようになってからは、稼ぎの殆どを自分の頭に納めてきたようなものです。いくら好きだからって、決して楽しいばかりじゃぁない。で、それが今飯の種になってる。
だから、若い生徒さんには「若いうちは、ソフト(自分の心と頭に入れるもの)に投資を惜しまないように」勧めております。
若い方でよく「一人暮らししようかしら?苦労しなくっちゃ」なんて事をおっしゃる方がいますが、私は反対します。そんな金があるんなら頭に入れりゃぁいい。
一昔前は、若い頃に習い憶えた技術が生業となり、一生なんとか食ってゆけましたが今の世の中、とんでもない。自身の専門能力を磨き続けなければ、すぐに淘汰されるでしょう。マーケットから、プロとしての能力をそれだけシビアに査定されるわけですから、私はかえって、良い時代じゃぁないかと思いますが、ある人は厳しい、生きづらい時代と言うでしょう。
だから、半端に自立して、半端に取り組んで、肩書きだけは出来ました・・・なんてレベルの苦労なんて、何の役にも立たない。ただの気休め、自己満足。だから1円でも余計、自分の将来に投資した方がいいに決まってる。私は商売屋の倅で育ちましたから、自分の腕で世間様を生きてゆくことは、子供の頃から全く持って当たり前のことと思っておりました。よって、自分が傾けた誠意と情熱は、必ず自分に返ってくることを知っています。それは、なにも難しいことではないんです。だって、お客さんを粗末に扱えば、次からその売上は無くなるのだから、至って簡単なこと。
さて、そこで相談されたときに最近よく申し上げている返答ですが、「仕事だからと我慢できるのはよくて10年。それ以上はテコでも我慢不能でしょう。だから、やはり自分に向いている事をお選びなさい」ということです。難しく考えずに「一人で机に向かうのが好き?それとも一日中、人と話してるのが好き?」程度の二択から自己診断をしてみればいい。
また、損得だけで判断すると、いつの日か心が折れるときが来ますよと。問題は、選択した後、ベストを尽くせるかどうかで、逆説的ですが、本当は選択自体はそんなに重大事じゃ無いのかもしれない。
自分が幸せだったかどうかなんて、究極的に言えば、自分が死ぬときに自分が勝手に決めることで、全く持って主観的なもの。それを計る物差しなんていらない。
だから、今悩む選択肢は、或いはどちらを選んでも同じかもしれないですね。その後の毎日毎日の積み重ねで選択が良かったか悪かったかが決まる。で、死ぬときに最終判断すればいいじゃないですか。
要するに、簡単な二択から始めましょ。「人と関わっているのがいいですか?それとも、寡黙に取り組むタイプですか?」程度のシンプルさで。
最近、文庫本で志ん朝師匠の高座口述筆記本が毎月発刊されていて、激喜しながら夜な夜な読み狂っておりますので、この日記の文体も所々、それ風になってしまいやした。どうぞご勘弁を。
11月13日
9日の国分寺クラスタでのコンサート、悪天候の中、満員御礼となりました。ご来場、誠に有り難うございました。又の機会も是非お出かけ下さい。
今日は久しぶりの好天で、小春日和となりました。最近は超多忙に悪天候が重なって、散歩の機会がなかなかとれず困っていました。で、今日は念願叶って陽光の中での散歩と相成りました。気持ちよかったなぁ。
今日は埼玉教室営業日だったので、埼玉県行田市を散歩したわけです。行田教室は私の実家なので、近隣は、もう子供の頃から慣れ親しんだ馴染みばかり。それこそ路地や木々まで、昔から知っている様な気になります。
今日はいつもとコースを変えて、昔通った中学校へと足を伸ばしてみました。中学校の敷地をぐるりと一回りしてみたのですが、流石にだいぶ変わってしまっています。校舎や体育館も場所を変えたり。しかし、昔、体育館の有った処の脇、その土を見て、「あぁ、ここでこんな事があったなぁ」なんて思い出したり。
で、そこは我が親友と過ごした場所でもあったのです。彼のことは度々、このギター日記にも書いていますが、フォークデュオ仲間で、知り合った切っ掛けは互いに剣道部だったこと。互いに音楽も剣道も、結構しっかりやりました。3年の時は、彼が部長で私が副部長だった。色々あって楽しかったな。
時は流れて、互いに頭の毛が大分抜けてしまった。そんな今でも「コンサートやるから来ないか?」と言うと駆けつけてくれる。そして、真摯に聴いてくれる。だから、私は彼に「変わったね!進歩したね!」と言ってもらえるように、日々の音楽生活を送りたいと思うのです。
そして、クラスタのあとも、言ってくれました。「変わったね!進歩したね!」と。私はその言葉に心の中で礼を言うんです。家族以外の誰にも見せていない、私の努力する姿を、彼は心の目で見てくれ、それを認めてくれたんだと。
私は江夏豊というプロ野球選手が好きでした。彼の語録に、影響を受けた言葉は数あれど、「プロいうもんは、人前で練習する姿を見せたらいかん。努力は人の見てないとこでするもんや」には深い感銘を受け、自身もそうしているつもりと、自惚れてもいます。だから、彼の評価は嬉しい。親友など簡単に培えるわけではなく、そんなことを考えながら懐かしい道を歩いていると、二十数年前のあの日から、互いに想い出を積み重ねてきて良かったなぁと思いました。そしてそれは、この場所で始まったんだと思うと、いま一度、ここを二人で歩いてみたいものだと思った次第。感傷的な懐古ではなく、道半ばのマイルストーンとして。
二十数年前のあの日、校門で別れるときの会話は「田代、”22才の別れ”のあれ、なんて言うんだっけ?」「ハーモニクスだよ」でした。(ギターテクニック用語の質問ね)
もし今度歩いたら、何を話すのだろうか?互いに、未来を見つめる目でいられるのだろうか?
10月12日
すっかり涼しくなって夜の散歩も少し億劫になってきました。私は散歩の習慣があり、日中するのが好きなのですが、夏は暑いのでどうしても夜になってしまいます。今年の夏は、涼しかったとはいえ、日中に散歩が楽しめるほどの異常気象なんて、ありますまい。涼しくなって、日中に出来そうな陽気になったのですが、最近は忙しくて、散歩時間を捻出できない日も多いのが悩みなんです。まあ、商売繁盛で有難いことなのですが。多謝、多謝。
で、夜の散歩がつまらぬか?といえば決してそんなことはなく、昼に比べると猫に沢山、出会えるのが楽しみです。この夏も、何匹もの新顔達と仲良くなれて、嬉しかったです。
猫にもそれぞれ顔つきがあり、楽しいものですね。それによって、こっちは適当に名前を付けて呼んでるのですが、何度も呼んでるうちに、むこうも憶えるんですね。返事して、駆け寄ってくる奴もいたりして、嬉しい限りです。
ある所に住み着いている野良で、白に黒斑の大きい奴がいて、柄が牛のようで、顔もしげしげと眺めてみると、牛みたい。なので「ウシ」と名付けて遊んでいます。
この「ウシ」君、野良の割に、常に空腹というわけではなく、方々で餌をもらっている様子で、安心です。きっと、処世術が上手いのでしょう。え?猫に処世術があるかって?、あるんですよ、これが。人間と同じ。
で、此奴、名前を呼ぶだけじゃ返事しない。ビニールの音をカサカサと鳴らしながら呼ぶと駆け寄ってくる。満腹でも。条件反射でしょう。
最近の猫はビニールのカサカサ音に敏感ですね。あれは、要するに餌の音なんですね。そういえば、近所の黒ドラで食い意地の張った奴がいて、そいつはスーパーの袋を下げて歩いてゆく人を見ると、見境無く寄ってゆきます。いくら仲良しでも、食い物を持っている方を重視し、すぐさま行動!ガッツがあるな〜、と感心します。
ところで、私は猫と遊べるように、散歩時には猫じゃらし用の紐を持って歩いていまして、ある日それで子猫と遊んでいると、一緒にいて様子を見ていた家内が「あなた、蛇使いならぬ、猫使いさんみたいね〜」なんて言いました。
それを聞いて私も「なんと素敵なことを言うのだろう」と感心しまして大笑いしたのですが、もしこの世に猫使いなる職業があるのなら、弟子入りしてみたいものですね!ギターと同じくらい真剣に取り組めば、何とかプロになれるでしょうか?
18日から日本シリーズですね。阪神VSダイエー。一昔前なら、絶対にあり得ないと言われたカード。(両チームとも弱くてリーグ優勝不能と言われていた時期)でも、時は流れるのですね。感慨一塩です。もう一度、勝利の美酒を!がんばれ、阪神タイガース!
9月15日
ついに優勝しました!阪神タイガース!18年ぶりですか。長かったですね!
18年前のあの優勝の日、私は行きつけの飲み屋にいました。そこは、バンドマンの阪神ファンが集うような店で、久しぶりにペナントレース好調だったこの年、この店に私は毎月8万円くらい、ツケがあったなぁ。よく飲んだ。まあ、若かったし、大騒ぎしながら飲むのが楽しい年頃でもあったのですね。
18年、正しく長い年月ですね。だって今や、私の教室に平成生まれの生徒さんが通って来ているのですから。
まあ、嬉しいです。分かち合いましょうよ。今夜は、美酒を!
話は変わって。最近、以前からの職を離れて現在求職活動中という人が、私の周りに沢山いるのです。生徒さん、友人や身内にと、とても身近に。今や職業に関する我々日本人の意識は大いに代わり、それは価値観からライフスタイルまで、大いに変えることになりましたね。
18年前、まだまだ終身雇用制が鉄壁の理論と信じている人達が社会の主流派で、今ほど気楽に転職が出来る空気ではなかったように思います。それに比べると、転職がハンディキャップに思われなくなってきた昨今の風潮は良いことじゃぁないかと思っています。
多様な、かつ柔軟な価値観で、自身のライフスタイルを構築してゆく。考えれば、当然のことなんですが、果たして、かつてのこの国では如何なものだったのでしょうか?そして、そんな歪んだ社会だったからこそ、自己責任に関しての意識がどこか希薄で、責任の中枢に迫れば迫るほど無責任になってしまうという、何とも御粗末なパラドックスは、しかし何時は変わりゆくのでしょう。
しかし、外圧が加わらなければ変わらない、自己改革が出来ぬ、自浄能力が希薄だ、といった部分は受け継がれるのでしょうか?
星野監督なる外圧が阪神を大きく変えたのは事実でしょう。そして、未曾有の不況という大きな外圧が、容赦無用の改革を企業に強いたのも事実。様々な痛みの末に新たな展望は生まれ、一層進化した生命力は育まれます。
そんな中で、自己の立場、権限などを私物の如く勘違いしている一部の公務員、政治家達はどうなっているのでしょうか?腐り果て、膿んで悪臭を放つが如き巨悪は!
かつてニーチェは、ある腐敗を揶揄する一説としてこう書いています。「冗談じゃぁない!そんなことをしたら精神そのものが悪臭を放つ!」
この言葉は、どうやら18年程度の短い時間では風化しないようです。
18年。時間の流れとは何とも悲しく、無力感に満ちたものですね。こんな物言いは、あまりに皮肉でしょうか?
今日は少し、重い内容になってしまいましたね。
阪神タイガース、優勝、おめでとう!
8月31日
今年の夏はビックリするほどの涼しさで、楽で良かったのですが、当然、各方面に悪影響が出ているようです。ヨーロッパでは記録的な猛暑と、やはり世界的な規模で異常気象だったのでしょう。困ったものですね。
しかし、いくら涼しかったとはいえ夏は夏。だからここ2〜3日、夜ともなると風がぐっと涼しく感じて、新たな季節の訪れを感じさせますね。去年のこの時期は、凄まじい猛暑だったのが夢のようです。
生徒の皆さんも、それぞれの夏休みを満喫された様子で、その土産話を聞くのが、最近のレッスンでの楽しみのひとつなんです。もっとも、私はレッスン時、ほとんど世間話はしないのでたいした時間ではありませんが。
話は変わって。今年は、秋に何本かコンサートをやろうと思っています。普段は、結婚式やパーティーなど、関係者以外は入場できない、いわゆる営業演奏ばかりで、生徒の皆さんに「コンサートをやらないのですか?」と、常々おしゃっていただいていましたから、ようやくお応えできることになります。
教室はおかげさまで、ここ数ヶ月は大変な忙しさになっており、私自身の為の練習時間を捻出することにも苦慮する有様(嬉しい悲鳴ですが)で、正真正銘、筋金入りの練習不足なんです。
そんな状態ですから作曲も全く進まず、こちらも「新作を楽しみにしている」と応援して頂いている皆さんに申し訳ない状態が続いています。
ただ、このシーズンのステージでは、私が2001年にパパ(ペペ・ロメロさん)にオマージュするつもりで作曲した曲を演奏する予定でいますので、お楽しみにしてください。この曲は、パパにもレオ・ブローウェルにも、大変誉めてもらいました。私自身、とても良い曲だと自惚れています。
しかし、サイレントギターがあるので助かります。毎晩、練習開始が10時半から11時頃。終わるのが1時半から3時頃と、サイレントギター無しでは不可能ですね。東京では。埼玉教室なら大丈夫なのですが。
ということで、忙しいなりに、聴きに来ていただける皆さんの気持ちに答えうる誠意をもって、日々、練習に励んでおります。
コンサート情報は、掲示板に発表いたします。是非とも、お出かけください。
7月27日
今年の7月は梅雨が長引いて、米凶作だった93年よりも、平均気温、日照時間とも下回るのだとか。心配ですね。今後、2〜3週間の天気が重要のようです。涼しく過ごせるのは有難いけど、米は心配です。
さて、話題は変わって禁煙の話。セゴビアがパイプ煙草を嗜んだのはオーガスチン弦の写真で有名。パパ(ペペ・ロメロさん)は、ハバナのモンテクリストという葉巻を愛好しております。エレキの世界ではクラプトンが愛用のストラトキャスターのヘッドにシガレットを突っ込んで演奏。等々、ギタリストで煙草を愛好する方が多いようです。
以前は、私も大変な愛煙家でした。もう、煙草を止めて2年5ヶ月程経ちますが。以前は、一日30〜40本は吸っていました。
先日、久しぶりに愛用のES−335を掃除したのですが、これが喫煙時代からずっと壁に掛けている為に大変な汚れようで、常々「掃除しなくちゃ」と思っておりました。それがまた、大変な作業でして、なんと言っても煙草のヤニを落とすだけで大騒ぎ。ギター用のポリッシュ程度では歯が立たず、泡タイプの住宅用洗剤でヤニを落とし(泡が真っ茶色!)コンパウンドで磨き上げるという、掃除と言うより、塗膜をこそげ落とすくらいの作業で筋肉痛になりました。持つとベタベタしたくらいだったから、実にスッキリと美しく清潔になり嬉しかったのですが、重ねて、煙草を止められて良かったな〜と思いました。
つくづく、煙草を吸わないとギターが汚れませんね。マイルスが「煙草の煙が立ちこめるジャズクラブなんかで演奏するのは真っ平ゴメンだ!買ったばかりのスーツが台無しだ!」なんて言ってましたが、煙草を止めてみて初めて「ホントだな」と実感します。
煙草を吸い始めたのは決定的な理由もなく、何となくでしたが、止めるときは、何となくとはいきませんでした。やはり、最初の2週間ほどは辛かったです。それまで、何度か禁煙に挑戦しましたが、どうにも永続きせず苦戦しました。実際に禁煙できた切っ掛けは、ある日、風邪をひいた為どうしても苦しく喫煙できず、「それなら無理して吸うこと無かろう」とその日一日我慢して、翌日は「じゃあ、もう一日」と、それが「煙草は不要」と思うまで続いたようなものです。
しかし、以前の禁煙失敗から、多少のノウハウはありました。私にとって一番重要だったのは、禁煙具、ガム、飴等、煙草に変わる趣向品で代用しないことに尽きました。要するに、習慣の問題だったんですね。だから「吸いたくなったら、ひたすら我慢する」という最も原始的な方法が、最も効果的なのは分かっていたのです。今は、全く吸いたくありません。ごく希に「葉巻が欲しいな」と思うときもありますが、同時に「吸ったとしても、不味く感じるであろう」とも感じていますから、決定的に喫煙は、私にとって不要な習慣となりました。良かったと思っています。
まあ、何にしても「今日一日頑張ろう」そして、明日になったら「今日も頑張ろう」の繰り返し。ギターも同じですね。今日一日、その毎日を頑張って精進してください
7月6日
毎度、小うるさくて申し訳ありませんが、何とも、月日の経つのが早いこと。季節の変わり目でもあり、なかなか疲れが抜けません。朝、起きても「寝足りない。もっと寝たい」と思ってしまいます。
久しぶりのマイブームの話。私は、最近「マーフィー」なる博士が書き残した本を楽しんでおります。これは、「人間、自分が思っていることが(潜在意識で)現実となる」といった、非常にポジティブな内容のもので、なかなか感じ入ることがあります。
確かに自己の中の「考え」は、何かに付けその人を支配してしまうでしょう。常々、悲観的に嘆き、愚痴っている人は、年中、不運のようにも見えますし、不景気など笑い飛ばしている人には、本当に不景気なんて錯覚じゃないかな?と思えるほど、泰然自若。
本当に気の物なんでしょうかね。だったら、ギターが巧く弾けたことをイメージすれば練習しなくてもいいのかな〜?勿論、イメージトレーニングの効用は改めて取り上げるに及ばぬ程ですから、やはり、心から望むことが、一番重要なんでしょうね。
そんなわけで、私も始めてみました。潜在意識に自身の希望を刷り込む作業を。まだ、うまくいった手応えがありませんが、徐々に「ああ、こんな感じになったら成功なんだな」程度の実感は持てるようになってきました。あとは、乞うご期待、ってところです。
話は変わって。8月1日より、会員規約の一部と、入学金を変更することになりました。既に、6月末日には発表させていただきましたが、よろしくご理解ください。
今回は短めのギター日記ですが、近日中に又、更新するいうことでご容赦を。
6月1日
5月上旬は好天が続いたのに、最近は全くもってパッとしませんね。台風まで上陸して。ただ、好天となれば、何とも気持ちの良い季節。満喫したいものです。
私は、昔から天気の話を挨拶代わりに交わすのが大好きです。子供の頃、祖父が、こう挨拶していたのを思い出します。
「ヤンバイだね!」言われた方も「ヤンバイ!」と御返答。こう書くだけで、あの頃の風景が思い出されます。懐かしいな〜。
「ヤンバイ」とは、「いい、案配ですね」したがって「今日の天気は、良い案配ですね」が訛ったのですね。微笑ましい、古い田舎の風景。
祖父は私が中学に入学する直前、他界しました。突然、風邪をひいて寝込み、3日目でした。きっと、後生が良いと、羨まれたことでしょう。だって、4日前まで、元気で店番してたんだから。
祖父は毎晩、ビール小瓶1本、または日本酒を徳利1本を晩酌にしていました。時には一杯付き合う相手が欲しかったのでしょうが、生憎、息子(父)は下戸。そこで、どうやらアルコール分解酵素を生まれ持ったらしい孫(まだ幼稚園児だった私)に、ビールの泡を飲ませることを思いついたのでした。
当時、私は面白がって飲んでいましたが、勿論「うまい」なんて思う訳も無し。今でこそ、ビールは大好物ですが、ビールが好きになったのは30歳くらいからで、それまでビールは、どちらかといえば苦手な方でした。(ノンベではあったが)
私のプロレス好きも祖父から譲り受けたものなのか、叔父叔母から「隔世遺伝」と笑われます。プロレス好きに遺伝性があるかどうか、そんなことには一向に興味ありませんが、祖父と一緒にテレビのプロレス中継を見ていたのは憶えています。
祖父は若い頃、ヴァイオリンを弾いたことがあったらしいのですが、それは全くアカデミックなものではなく、「楽器演奏を趣味に」という趣では無し、じきに止めてしまったとか。よって、私は音楽と楽器に関しては、親戚一同から鬼っ子扱いをされております。
子供の頃、近所の人に、「首筋がおじいさんそっくりね!」と言われたことがあります。その時は、「ああ、そんなもんかな」と思ったにとどまりましたが、今尚その言葉は私の耳にこだまします。
パパ(ペペ・ロメロさん)は、「自分はギター史の中に生きていて、現在の自分があるのは、先達たちから受け継いだ肥沃な地に立つからだ」と考えています。信じていると言った方が正しいでしょうか。
私はそれを学んだときこう考えました。ファミリーツリーとは如何に貴重で暖かく、愛に満ちているものかと。
若き日、或いはそれが重荷に感じられる時があるかもしれない。しかし、それはまさしくDNAで、受け入れるかどうかに関わらず、自己の形成原理になってると。
ギターに関して、そのDNAは血縁で伝えられるものではありません。現に、私はパパから受け継いだ。だから、きっとそれは私から誰かへ伝えられるのでしょう。
人の職業とは、或いはそういった使命に立脚しているのかもしれませんね
5月16日
読書の習慣が身に付いたのは、高校に入ったくらいからでした。当時、私は、まったくもってギター以外のことは続かず、根気の無さに我ながら苦笑しておりました。
そこで、また、近所の本屋さんでのこと。「なにか、短時間で読みきりになる本でも無いだろうか?」と文庫本の棚を眺めたところ、有りました。おあつらえ向きの、「10分で読めるショートショート」なるものが。まあ、10分だったら我慢して、読み切ることが出来るだろう、と買って帰りました。それが、それが・・・。はまったのですね。翌日、似たような本を数冊、購入してきて、これも時間を忘れて読んじゃった。以来、読書は私の人生の重要な一部となっています。
そんな中で、コナン・ドイル作のシャーロック・ホームズ・シリーズにも、いたくはまりまして、今でも時折、読み返しています。(何十回目だろうか?多分、100回近い)
ホームズ物語には、ホームズが、他人の外見的特徴から、その人の職業や習慣、性格まで、瞬時に読みとってしまうという、シャーロキアンにはたまらない場面が沢山出てきます。確かに、人の体には、その人自身の有り様がにじみ出ていますね。
例えば。私は、成長期からギターを弾いていましたから、左指の方が右手より長い。ピックを持って弾いていましたから、右手人差し指が、中指側にカーブしている。
(ラリー・カールトンもそう言ってたな)また、手首が細い(使用頻度が高い)、手が綺麗、爪が伸びるのが早い(血行が良い)。などなど。
その人の日常は、その人の体をも作りだしているのですね。
私は、最近、雑司ヶ谷の鬼子母神へ散歩コースを変えて早一ヶ月以上。果たして、その影響が体に出たのかしら?という話。
これが・・・。出たんです。
先日、久しぶりに、いつもお願いしているトレーナーさんに、マッサージをしてもらったのですが、その方、開口一番、「下半身が締まったねー」ときた。こっちは「身に覚えはないけどなぁ〜」なんて。
「何か変えたんじゃない?散歩の距離でも?」ということで、「そう言えばコースが変わって、上り坂が沢山、増えました」。
効くものですね〜!毎日の繰り返しは!ギターでも何でも同じですよね。一日二日の違いなんて、大したことは無いけど、それが2週間の差になると「あぁ、ちょっと差が付いたかなぁ〜」なんて思う。2ヶ月経ったら、もう、やってない人とは別人。1年経ったら、その差は修復不能です。
私は、中学の頃から「ミュージシャンになりたい!」って人間を大量に見てきました。勿論、私もその中の一人だったわけですが、幸い、その夢は叶いました。しかし、叶わなかった人の方が圧倒的多数。
私と彼らの違いは?・・・至ってシンプル。諦めなかっただけのことです。彼らの特徴は、自発的に「自分じゃ駄目だ」と思ってしまったことなんです。
人生はボクシングじゃないので、何回ノックアウトされたって、別にどおって事はない。勿論、痛くないわけじゃぁない。しかし、自分がギブアップしない限り、リングから降りる必要は無いわけです。でも不思議ですね。パンチももらってないのに、ギブアップしちゃう人がいる。
まあ、たまには「疲れたから、もう止めちゃいたいな〜」と思うことはあるでしょうが、そこで、今年読んだコリン・パウエルの自伝から一言。
「どんなに悲観的な状態に見えても、朝になれば少しは好転しているように感じるものさ」
そんなもんですかね。
4月18日
初夏のような日が続き、気持ちよいですね。こんな日は家の中にいるより、外で過ごしたいものですね。
私は散歩の習慣があり、それは、肉体的にも精神的にも、非常に効果的に私をケアしてくれます。雨の日は休みますが、ほぼ毎日1時間程度、真夏以外は明るい時間帯に散歩しています。したがって、こんな季節になると、汗ばんだりはしますが、何とも気持ちが良いものです。
散歩はコースが数種類に固定されているので、目に馴染んだ景色が、四季折々の変化を見せるのも、楽しみの一つですね。花が咲くのを定点観察したり、鳥の声を楽しんだりと。
また、私は大の猫好きなので、道々、なじみの猫に会えるのも、掛け替えのない楽しみです。
ちなみに、埼玉教室の校名は「ゴルドガト・ギタースクール"Gordo
Gato Guitarschool"」と言うのですが、"Gordo Gato"は"Gato
Gordo"。スペイン語で、Gatoは猫。Gordoはデブ。つまり、デブ猫ね。
由来は、埼玉教室を開校した当時、私は茶ドラくんを飼っておりまして、彼は最盛期、8kg超の体重を誇るおデブさんだったことと、1930年代、アメリカの音楽家仲間のスラング(俗語)で、ジャズマンのことを"Fat
Cat"と言った、ということから、こんな名前にしてみました。
何れにせよ、個人的には気に入っているのですが、生徒さんには余り評判が良くないようです。言い辛いんだって。まあ、我慢してもらうしかないけど。
ちなみに、そのおデブ君は私が飼った2番目の猫で、長生きし、天寿を全うしてくれました。名前は"Robbie Robertson
Jr."。鋭い皆さんはお気づきですね。あの"The Band"のギタリスト、ロビー・ロバートソンから取りました。
何故かと言えば、長く居着いて欲しかったからなんです。1匹目の猫は、「ロジャグロ」という名前のハンサム君だったのですが、如何せん、名前のせいか、盛りの時に外遊に出かけたまま帰ってこなかったんです。何で名前のせいかって?・・・「ロジャグロ」。"Roger
Glorber"ね。短命で終わった第2期ディープパープルのベースマンの名前だったのね。今、考えても失敗だったな・・・。それに比べ、「ザ・バンド」は20年続き、円満に解散した長寿バンド。そのおかげか、おデブのロビ−君は元気に長生きしてくれました。猫の成人病、口内炎や尿道結石にもめげず。
今現在、残念ながら私も、私の実家も、猫を飼っていません。しかし、いずれは飼いたいものです。そのうちに必ず。
最近は雑司ヶ谷の鬼子母神へ散歩に行って、境内の猫に遊んでもらっております。今日はフラレちゃったけど。
3月29日
ようやく本格的な春の日々となりました。今年の冬は格別に寒かったですね。冷え性の私は、結構辛いものがありました。今思い返せば、子供の頃、私は冬の方が好きだった様な記憶があるのですが・・。いずれにせよ、寒すぎるのも、暑すぎるのも、イヤですね。
イラクにおける軍事行動も、もう首都バグダッド決戦へと進む中、様々な問題が起こっています。反戦運動も盛んに報道されていますね。
私は、音楽から人生を学んでいるように思っているのですが、若き頃のある時期、特にメッセージ色の強い曲に惹かれた事があります。その中には、戦争に反対するものも多かったわけで、ある意味では影響を受けました。その中でも、最も強く印象にあるのは、ボブ・ディランの「風に吹かれて」です。この曲を知ったのは、アメリカのフォークグループ「PPM(ピーター・ポール・アンド・マリー)」のレコードでした。 私がギターを始めた頃は、丁度ギターブーム停滞期で、前(とても)の時代の教則本が多く売られており、私もそれを使ったので、当時、年齢の割には古い音源を沢山知ったわけです。このPPMを知ったのも、ギター教則本に参考音源として紹介されていたからです。
そこで「PPMベスト」なるレコードを買って聴いたところ、すっかりファンになってしまいました。その頃は、「風に吹かれて」よりも、「パフ」「レモントゥリー」「500マイル」などの方が魅力的に思えましたが、「風に吹かれて」は、大人になり、尚かつ学ばされる曲となりました。
私の親友、中学で一緒にフォークデュオをやっていた男も、意見を同じくしています。この曲はベトナム戦争時代に作られています。そして、私は戦争や紛争やテロや、様々な殺人のニュースを聞く度に、この「風に吹かれて」を思いだし、かつ、この曲が風化していないことを残念に思います。
月日は流れ時代が変わっているのは確かですが、どうやら人類というのは、どうもあまり進歩していないようですね。「殺し合いをする」という面に関しては。
以前、ボブ・ディランを讃える記念コンサートがありました(アメリカで)。日時も出演者もよく覚えていませんが、日本でもTVで放映され、私はそれを見ました(未だ、ここ10年以内と思います)。その中で、ある女性シンガーが、かなりメッセージ色の強い曲を歌い、観客からの凄まじいブーイングに見舞われ、演奏続行不能となり、「戦争」という唄を叫び、ステージを降りる・・という場面がありました。
そこで私は思ったのです。「風に吹かれて」は懐メロになったんだと。ベトナム戦争当時、「風に吹かれて」を歌い、デモに参加しピケを張った人達は、今は、同じメッセージに対し拒否反応を起こすのだと。
ましてや、ホストのボブ・ディランも、それに対して観客へ向け、何の対応も見せず。
彼らの想いを、私は伺い知ることは出来ませんが、ガッカリしたのは事実です。
「人間は変わるものさ。そして、人の意見は常に、その時に自分の日常から発せられる。」これが、私が「風に吹かれて」から学んだ事といったら、あまりにも皮肉でしょうか?
確かに私は、若き日に「風に吹かれて」から理想を学びました。そして、もっと大人になってからは前述のことを。これは、「変わらぬ世界に生きる自分が歳を取る」事を学んだのでしょうか?「成長し、成熟する」ということを。
3月11日
先日、散歩中のこと。とある幼稚園の卒園式に出会いました。まだまだ冬型の寒い日が続いていますが、もう春なんですね。そう、卒業式のシーズンなんですね。
何故、こう書き始めたかといえば、「どうして私はギターを始めたのか?」という話題の前振りなんです。
それは、私が小学校を卒業し、中学に上がる春のこと。12才ですか・・。卒業式が終わり、お彼岸も過ぎ、確か3月25日近辺のことだったと思います。
うららかな春休みの一日。天気は良かったな。特に友達との約束もなく、手持ちぶさたで、近所の本屋さんへ行きました。漫画を立ち読みでもしようかな〜と思って。
何のことはない、平凡な少年の、平凡な暇つぶしのひととき。
そして、立ち読みを始めました。何を読んでいたのかは覚えていません。その時、私は突然、こう思ったのです。
「ギターを弾こう」と。「自分はギターを弾くために生まれたんだ」と。
未だに、何故そう思ったのか分かりません。しかし、確かにそう思ったんです。
(よく聞かれるのは、音楽かギターの漫画だったのですか? という質問ですが、答えはNOです)
その時の感触は、今、こう書いてみて文面で見るほど、劇的でも強烈でも無かった。もっと、自然でのんびりしたものでした。しかし、私はハッキリとそう感じ、その声に従って「10日で弾けるギター入門」の様な本を買って帰ったわけです。(最低の教本だったな〜)
まあ、要するに誰の影響も無かったわけで、落語が好きになったときとは決定的に違ったんですね。だけど落語の時と同じく、切っ掛けの瞬間は明確に覚えています。
面白いもんですね、一人の人間の感性って。
家族に音楽をやる人は無し。しかし、近所の親戚の家に「腕時計を買ったら景品に付いてきたフォークギター」という、なにやら怪しげなギターがあったので、それを頼み込んで借りてきた。
それが私とギターとの出会いです。それまでは、何をやっても長続きしない少年でしたから、家族はギターだっていつまで続くのやら?と思っていたことでしょう。
ただ、今思えば、練習と呼べる代物ではなかったけど、毎日飽きもせずギターをいじくっている様を見て、両親はこう思ってくれたんですね。
「どうやらこの子はギターが大層好きらしい」と。(「この子は天才じゃないかしら?」と決して思わなかったところが気に入らない!?)
そして「おい、お前。そんなにギターが好きなら、もう少しましなギターを買ってあげようじゃないか」という素晴らしいお達しで、近所のレコード屋(田舎だから楽器屋が無い)で買ってくれたんです。
このギターから、今に続く人生が始まったわけです。そして、このギターは私がギターから得た最高の教訓、「音楽とギターは人生に必要な全てを与えてくれる」を数週間後に与えてくれました。(その時分は気づかなかったけど)
私には無二の親友がいます。中学に入ってすぐ知り合い、今も親友同士でいる素晴らしい男。彼とは中学の剣道部で一緒になり、すぐさま意気投合してフォークデュオを始めました。
毎週、日曜日、彼が私の家に来て練習をするのですが、互いに日曜日が何とも待ち遠しかったことか!今や、練習があんなに待ち遠しいなんて有ったもんじゃないけど。
まあ、楽しかったな。
人生って、分かりませんね。何がきっかけになるか。私がギターを選んだのは、どうやら誰の影響でも無いようです。しかし、私は、きっと誰かのきっかけになれるかもしれない。そして、お役に立てるかもしれないと思うのです。
サッチモ(ルイ・アームストロング)の唄、「素晴らしきこの世界」の歌詞にこんな一説があります。
「私は赤ん坊が泣くのを聞き、彼らが育つのを見る。彼らは沢山学ぶだろう、私が知り得ないことを」と。
自分が愛し、詳しく知る分野で後進の役に立てる幸せは、あるいは掛け替えのないことにも思えます。
あの春の日から四半世紀以上過ぎてしまったけど、昨日のことのように思い出します。
そして私は、あの春の日に、自分の心の声に従って良かったと、ギターの神様に感謝しています。
あの日からずっと、私はギターと春のうららかな午後が大好きです。
2月26日
二・二六事件の朝は雪混じりの寒い日だったそうな。今日は好い天気でしたね。誰かの落語の枕で聞いたのですが、江戸時代の東京湾には流氷が流れ着いたそうな。寒かったのですね、昔の東京は。今に比べて。だから、きっとこんな会話が有ったのじゃないでしょうか。
夫:「おい、お前。もっとこっちィお寄りよ。」
妻:「まあ、お前さんたら、気が早いんだから・・(嬉しそうにソワソワ)」
夫:「嬉しそうに困ってんじゃないよ。家は貧乏で寒いんだから、そばに来いってんの!」
妻:「そう言ったんじゃぁ、あたしが湯たんぽみたいじゃぁないか!(怒)」
夫:「湯たんぽはお前より安上がりなの!おまんま食わないし。沸かすだけでいいんだから!」
妻:「あんた、そんな物言いじゃぁ、あたしが湯たんぽより役立たずみたいに聞こえるじゃぁないか!(怒怒)」
夫:「怒るんだったら、もう少し近くへ寄んなよ。ちったぁ〜暖かくなる」
妻:「なんだって!もう、承知しないよ!馬鹿なことばっかり言って!(怒怒怒)」
夫:「おい!止せ!遠くでそんなに怒るのは。さっき食った7杯目のおまんまのエネルギーがもったいないから、もっと近くに寄れってば!」
音:「バコン!!!」
最後の音は何だったのでしょうか?想像するだけで怖いですね〜。ヤダヤダ。クワバラクワバラ・・。
なんて、落語の枕風に始めてみました。ところで、「クワバラクワバラ」は「桑原」のことで、当時、夕立で雷が来ると、雷雲が早く郊外の桑畑の方へ行ってしまえ、と願う想いから発生したフレーズだそうです。これも落語で覚えました。
私の母は落語好きで、私は小学校の時分から、彼女がTVで落語を楽しむのに付き合っていましたから、キャリアだけは長い落語ファンと言えましょう。ただ、そんな中でも、自分が決定的なファンになった切っ掛けは憶えています。
確か私が9才の時。TVの寄席中継。ある噺家の高座中継。演目は「目黒の秋刀魚」。
この噺の概要は、ある殿様が今までしたこともないパターンの外遊をし、道中、丁度、「目黒」に差し掛かったあたり、なんとしても空腹してしまい、仕方なくその近在の民家に食い物を所望することに端を発します。
まさか殿様などが我が家へ食事に来るなど夢にも思わない「目黒」在住の一般家庭の夕食。好い匂いを煙と共にまき散らしていたのが運の尽き。今すぐお前の晩ご飯を殿様に差し上げろ!と命令されてしまいます。
何をしていたかって?・・秋刀魚を焼いていたんです。
そんなやり取りをしているうちに、脂の乗った秋刀魚は真っ黒!それでも良いから、直ぐさま、その秋刀魚を殿に差し上げろと言う。「後ほど、褒美をとらす!」とか何とか言って。そして、黒こげの秋刀魚は御前へ。
しかし、殿様、育ちが好いもんで、こんなに黒く焦げた魚なんて見たことも食ったこともない。
殿:「さて、これは何という魚じゃ?」
家来:「はあ、これは秋刀魚にござります」
殿:「こんなに黒くて大丈夫なのか?」
家来:「どうぞ御安心して召し上がり下さいませ」
ということで、殿様、恐る恐る箸をつけてみて驚いた。
殿:「何たる旨さじゃ!でかしたぞ!手柄であった。」
ということで、目出度し目出度し。しかしながら落ちが有ります。
殿様、城に帰ってもあの秋刀魚の味が忘れられず、城のメニューに秋刀魚を取り入れることを命令します。しかし、上品な料理ばかり出すことを義務付けられた厨房は大混乱。
挙げ句の果てに秋刀魚を蒸したり何なりと、細工しまくって、洗練された料理にしてしまう。結果、殿が望む真っ黒な有様では無くなり、何だかフニャフニャの秋刀魚になっちゃった。
そこで殿の一言。「秋刀魚は目黒に限る!」
これが私が決定的に落語ファンになった瞬間です。
なんでそんなこと言うんだって?
前々回の「ギター日記」で、「どうしてギターを始めたか?」を書きますって予告したのに、未だなんです。その前振りの様なものです。なぜなら、私がギターを始めた理由は、落語ファンになった理由と、とても対照的な要素が有るからなんです。
では、次回。
2月15日
不覚にも風邪をひいてしまいました。私は元来、扁桃腺持ちで、体調が崩れると、まず扁桃腺に来ます。今回はなかなか喉の痛みが引かず難儀しております。皆さんも体調にはくれぐれもご注意ください。
さて、今日は埼玉教室の、ある生徒さんの話です。年輩の男性で「Nさん」としましょうか。過去に2度、脳梗塞で倒れ、リハビリの一環としてギターを始めました。ですから60才を過ぎてから私の教室で初めてギターに取り組んだわけです。
Nさん、若い頃から体が弱かったらしく、人生も順風満帆とはいかなかったそうで、その経験から出る言葉の端はしに、私は学ばされ、常々感心し、尊敬している次第です。
初めて脳梗塞で倒れ、入院した折りのこと、未だ子供さんも学生だし、「こんな事で音を上げてたまるか!俺は絶対良くなって生き抜いてやる!」と決心したNさん。それを早速、実行に移すところが素晴らしい。なんとNさん、病室に自動車のセールスマンを呼びつけ、新車を買ってしまったんです。こんな状況で、収入の道も不安な折の御乱心!?・・・奥様に大変、叱られたと笑っていましたが、いやはや、この心意気!惚れ惚れしちゃうじゃありませんか!
何とか退院し、小さい後遺症は残ったものの、体調もまずまず、生活の方も何とか立て直し、しばしの後に2回目の脳梗塞。さぞ辛かったでしょう。しかし、これも乗り切って自宅療養、そしてリハビリ。そのリハビリが「箸で大豆をつまみ、別の小鉢へ移す」というものだったそうな。「こんなクダラネーこと、やってらんない」の一言を発した後、近所の楽器屋に、ギターを買いに行ったそうです。そこで、私の教室のことを知り、入学して頂いたわけです。
大変、熱心に取り組まれる方で、とても上達され、最近では方々の老人ホームから演奏を頼まれて慰問に行ったりと、素晴らいギターライフを満喫されていました。ギターも「どうせ使うんなら一流品だ!」ということで、スペイン製の高級な楽器を購入したり。(お察しの通り、これも奥さんに叱られたらしい)
昨年開催した発表会の折、娘さんから花束を受け取って嬉しそうにしていた光景、生意気だけど私も同じくらい嬉しかった。その発表会のステージでのおしゃべりで、自分がリハビリのためにギターを始めたこと、ギターライフを満喫していることなど熱弁を振るい、かつ「この鬼みたいな先生に巡り会って・・・」なんて笑いを取る・・・流石!でした。
それがこの1月始め、3度目の脳梗塞。入院中、お見舞いに行きました。その折、「いや〜先生、年取ると駄目だね、気力が落ちて。今度は3回目だから国産車程度じゃ奮い立たないって、だから、BMWにでもしようかな〜と思ってさ、電話の所まで行ったんだけど、流石に電話する勇気が出なかったよ」。いや〜、この言葉、待ってました!と感服いたしました。
先日、Nさんから電話があり、「退院した」と。「しかし、今回は後遺症がやや強く残っちゃったから、いつギターが再開出来るか分からない。しかし、必ず再開して、教室に戻ります」ときた。「自分で運転出来なきゃ、女房に運転させて行きますから」と。
今回は左手に後遺症が残ってしまったけれど、それでも楽しめるようにレッスンを考えますよ。いつかまた、老人ホームの慰問が出来ますように、私も鬼になりましょう。待ってますよ!一日も早い復帰を。
でも、奥さんと一緒じゃ、奥さんの悪口、もう聞けませんね〜。この間お見舞いに伺ったときのNさんの一言「先生、女房ってのは有り難いもんだね〜。先生も奥さんを大事にしなよ」。
心に染みました。お言葉、忘れません。
2月5日
「好きな歌は何ですか?」と「どうしてギターを始めたのですか?」は、よく受ける質問の代表みたいなものです。さて、一つずつお応えしましょうか。
今日はまず「好きな歌」ですが。
ジャンルに関わらず沢山ありますが、今日ご紹介したいのは女性ジャズシンガー「アニタ・オディ」の名唱で有名な「バークリースクエアのナイチンゲール」を上げましょうか。これはアニタの「ジス・イズ・アニタ」に収録されています。何ともロマンチックで洒落ていて軽妙で、かつゴージャスなシルクのような演奏で、聴く度に惚れ惚れしてしまいます。
コンボではなくストリングが付いたゴージャスなアレンジで、イントロのチェレスタなんかも最高!彼女独特のハスキーボイスが歌い始めるとこなんかゾクッとくる。
「イヤ〜、素敵なオバサマだこと!」なんて思えど、なんと彼女1919年生まれだって!日本で言えば大正か?!・・・まいったな〜・・・。
前述の録音は1956年だから、彼女が37才の時かな?彼女は麻薬問題がいつも付きまとったので、一概に「脂の乗った良い年頃ですね」なんて気軽に言えないが、この曲を聴く限りでは素晴らしいの一言。
アニタはアドリブでスインギーに歌うボーカリストとして、非常にジャズ的な側面を評価する意見が多いのですが、私は彼女がバラードを歌う時の「人生って、こんなもんよね〜」なんて酒場の隅でポツリとのたまう様な、何とも達観したような素振りの声音がたまらなく好きなんです。
そんな海千山千の人が、夢見るような甘いラブソングを歌う。それが何とも応えられないな。チグハグなようで、でも、本当は全くチグハグじゃないんだ。人生って面白い。いつでも心のどこかに甘い夢があるんだ。どんな人にも。
良い音楽には共通する要素があります。それは、聴いていると景色や情景が目に浮かぶのね。アニタの「バークリースクエアのナイチンゲール」から私が見る情景は、ハリウッドの古い映画。それは私が子供の頃憧れた世界だったのかもしれません。音楽って、多面的なものですが、ノスタルジアをくすぐられるのも溜まらなく良い気持ちですね。
さて、アニタの「バークリースクエアのナイチンゲール」は、出来ればアナログレコードで聴きたいものです。それも、出来るだけ最新のオーディオテクノロジーで。
アナログレコード全盛時代には望み得なかった響きを引き出せますから。歌い始めの「ゾクッ」を引き出しましょう!CDじゃ難しいかも?
次回は「どうしてギターを始めたのですか?」にお答えします。
1月18日
正月気分もすっかり収まり、日本各地に帰省していた生徒の皆さんも、東京に戻ってきました。正月の東京は雪も降ったし寒かったよ・・といえば、故郷も寒かったですよ・・・と。まあ、日本中寒かったんですね。
私はといえば、まあ、ゆっくりとくつろげたと思います。また少し太ったかな。今年は月に1キロ、合計で12キロ痩せようという、空恐ろしい目標を思いついてしまいました。さてさて、実現できることやら?自信は無いですね〜。誰か、この目標が可能か不可能か?という点で、賭でもしませんか?そうすれば、少しは気合いも入るのでは・・・。
さて、正月に久しぶりにバンドをやりました。昔からの友人(バンド関係)やその御家族と旧交を温める目的で集まり、友人宅の近くにあるコーヒーハウスに楽器一式がセットしてあるステージがあって、音出しが可能とのことで皆で押し掛け、演奏してしまうという、何とも楽しい夕暮れでした。
当然、演奏する曲も内容も何一つ決まっていませんから、全て現場指示、現場処理。ただ、皆、長い付き合いなのでツーといえばカー、気楽でいられる友は、何とも嬉しいものです。
そんなわけで、演奏を楽しんでもらい、「定期的にやりましょう。客を入れて!」というその店の経営者の判断、即決!と相成り、「今度は3月の終わり頃やりましょう。」となっております。今度は、少なくとも演奏する曲目くらいは事前に決めましょう!ということで。
そんなわけで、今年はエレキギターを積極的に弾こう(久しぶり!)という目標も出来たのでありました。
話は変わって。年末年始、コリン・パウエル(現アメリカ国務長官)の伝記、「マイ・アメリカン・ジャーニー」を非常に楽しく、興味深く読みました。現代アメリカの決定的なアメリカン・ドリームなのでしょう。私の座右の書、「マイルス・デイビス自伝」と同じく、その言葉の一つ一つから、学べることが沢山あり、勉強になりました。
毎週、埼玉教室への移動中(1時間ほど電車に乗るのですが)の楽しみとして、読書の習慣が戻ってきました。ここ1年程、あまりの忙しさに読書どころではなかったので、何だかそれだけでも嬉しく感じます。
こういうのって、マイブームとでもいうのでしょうか?皆さんのマイブームは、何でしょうか?
< /p>
1月1日
明けましておめでとうございます。今日は久しぶりの本格的な休養日となっています。こんなに、なんの用事もなくゆっくりとくつろげるのはいつ以来だろうか?まあ、静かな休日で心身共々休まります。
昨夜、一通りの用事を終え、家内に「只今より完全休養に入ります。以降、よろしくお願いします」と言った後、どっと疲れが出て、熱まで出てしまいました。「つくづく、貧乏性ね」と笑われる始末。
「あんた、ほっといたら、すぐ仕事しちゃうんだから」と呆れられているほどの「テキパキ屋」なので、「さもありなん」と言ったところでしょうか?
とにもかくにも昨年を総括、自己採点してみれば、おかげさまで合格点と、良い年越しでした。高田馬場教室も開校以来順調に推移し、尚かつ埼玉教室も堅調と、小規模ながら健闘していること。また、家族が健康で過ごせたこと、など、自分を取り巻く全ての人達のおかげと、感謝の気持ちで一杯です。本当に有り難うございました。今年も宜しく御厚情を願います。
さて、そんな中にも悲しい別れもあるものですね。皆さんは、12月3日より毎日新聞に連載された「生きる者の記録」というルポルタージュをご存じでしょうか?
これは、「佐藤健さんという新聞記者が末期ガンに冒され、その闘病生活を自身ルポする」という壮絶な企画で、大反響の中、12月28日、佐藤健さんは残念ながら永眠されました。毎日新聞社のHPより御覧になれますので、ご興味のある方はどうぞ。
実はこの佐藤健さん、私が初めてお世話になった「他人」なんです。
私の本名「礎己」の名付け親は、ヒット曲「高校3年生」の作詞で有名な「丘灯夫」さんなんです。当時、丘さんはNHKの「とんち教室」という番組のレギュラーとして、お茶の間に親しまれていた御仁で、さぞかし御多忙だったことと推察できます。この丘さんに、名付け親の依頼をしてくださったのが、私の叔父の親友で、私の祖父母に恩義を感じていらっしゃった佐藤健さんだったんです。
その健さんの依頼で、丘さんは私の両親宛に素敵な手紙をくれました。それには「男で3つ、女で3つ」の名前の候補が記されており、私の両親がその中から選択できるようになっていたのです。そこで、両親をはじめ家族一同が協議の結果、「礎己」と決まった訳ですが、後日、私が「何故その選択を?」と問うたところ、「呼びやすいから」だって・・・。挙げ句の果てに、役場に出生届を出す段で、漢字を間違い(当然、当時は書類は手書き・・それも毛筆の時代だった)その二十数年後、私が家庭裁判所に申し立てて(丘さんの手紙を元に)改名手続きをしたほどでした。まあ、いい加減だったのね。
ちなみに、丘さんは後日、両親がくだんの名前を選んだことを知り(きっと健さんが知らせてくれたのだろう)素敵な色紙を送ってくれました。
このように、私が未だ名前も無く母の体内で居眠りをしていた頃、私のために初めて骨を折ってくれた人。正確に言えば、ファミリー以外の人。それが「佐藤健」さんだったんです。
そのお陰で、私は本当に素晴らしい、誇らしい名前を持っているのです。この「礎己」という名前は常に私の誇りでした。勿論、今でも。
そして、私はもう一つ”PEPE”という素晴らしい名前も頂戴しております。要はどちらも、自己の意志に関係無く、頂戴したものなんです。様々な出会いの綴れ織から。 佐藤健さん。享年60歳。埼玉県行田市出身。なぜ、私の祖父母に恩義を感じたのか?。それは申し上げますまい。ただ、それは、祖父母にすれば人間として心安い筈のことで、特筆すべきことではないと、私には思えます。しかし、健さんの口から
「君の御祖父様は大人(たいじん)だったよ!」と、酌み交わした晩に何度伺ったことか!こんな風に健さんは、人の心意気が瞬時にキャッチ出来る、人間らしい、男らしい、素敵な人でした。
健さんと私が初めて会ったのは(私が赤ん坊の頃を除き)私が21〜2才の頃だったか?前触れ無く叔父の経営する店(天ぷら屋さん)に立ち寄った健さんが(私がたまたま店番をしていて、叔父も叔母も不在だった数分間)私に対して自己紹介をし、それに応え私が、前述の私の名前にまつわるエピソードを熟知していることを健さんに伝え、心からの感謝を申し上げたのが、健さんとの出会いの様なものでした。
その晩、とある焼き肉屋で酌み交わすうち、当時ではまだ珍しかった骨付きカルビが出てきて、焼き始めたは良いけれど、「いったい、これはどうやって食うの?」と言ったところ、「こうやって食うんだよ!」と、骨の部分にかじり付いた健さん!。
「未だ、焼けて無いや!?」と噛み切れず!。
けれど、僕はこうやって「骨付きカルビ」を知ったのです。以降、骨付きカルビを食うたびに、あの晩の健さんとの想い出が、スパイスとなり、加わり事になりました。
その頃私は、ギターや音楽に没頭しながらも、将来の不安や、理想とのギャップに悩む自分自身を持てあまし、かつ迷う時期にあり、悶々とした日々を送る中、「音楽の本質を捉えるためには、心理学、哲学、そして宗教学までも学んでみよう」と決心し、独学ながら勉強の日々を送っていました。
たまたま親友が仏教系の大学へ進学していたこともあり、様々な書物を紹介してもらったりと、自分なりに宗教に関しても勉強していた訳ですが、そんな折の一日、「宗教を現代に問う」というルポにて評価される佐藤健という名ジャーナリストに出会えたわけです。
「人は出会うべき時に、出会うべき人と出会う」。これは、私が今までの人生の中で学んだ、最も重要な知恵です。そして、その出会いというやつは、その時に、自分自身がその出会いから学べることを、心から望んでいなければ気づかぬもので(もし出会ったとしても)、したがって、心からその出会いを望み、かつ全力を尽くして人生を送っていれば、きっと自分の力を越えたところから(健さんとの出会いは、私の祖父母をはじめとする親族の歴史から)与えられるものだ、ということなんです。
ちなみに、私は健さんと会ったその晩、いろいろな教えを頂いたと共に、著作を頂き、それらは紛れもなく私の心に、大きな一里塚を打ち込んだわけです。
その頃、ヘビースモーカーだった私はジッポのライターを愛用していました。健さんは、それを手に取り、オイルの臭いを嗅ぎながら「アメリカを歩いた頃は、僕もヘビースモーカーでね。僕もジッポを愛用していたんだ。懐かしい香りだな!」なんて。
「礎己君、世の中って、君が思っているよりは大きいものだよ。腹を立てているばかりじゃ駄目なんだ!」とか・・・。
素晴らしい想い出こそが人生の宝なのならば、正しくその日は、私の人生の宝だったわけです。そして、その時に関わった人達は、皆、互いに寄せる愛情の上に立脚し、その想いは、私を導き、私を守る。
自己の意志を越えたところでの人生の機微。その時、私はそれを佐藤健さんから学んだとも言えるし、亡き祖父が、そう仕向けてくれたとも言えるでしょう。
今年もきっと、素晴らしい出会いの数々に、私と私の教室は彩られることでしょう。そして、それは、互いを尊重しあい、求めあい、向上しあえる、互いに価値ある時間を過ごせる出会いになることを、心から望みます。
パパ(ペペ・ロメロさん)から学んだ事は計り知れない程、沢山ありますが、ロドリーゴとの死別について話を伺った時に聞いた話、「その人を失った悲しみよりも、その人と巡り会えて愛し合えた喜びの方が大きいものだよ」と。
ここに、私は音楽が人に向かって放たれるときの、根元的な本質を観ます。音楽とは何なのか? それは、人間の有様そのもので、言い換えれば人生そのもので、命を懸けて、愛情の全てをもって取り組むべきものだと思えます。
私は、自己の意志を越えたところで、素敵な人達に導かれ、それを教わったように 思えます。常に愛情に満ちた人達に。そして、私はそれを、私が出会う人達に伝えたいと思います。
ねえ、健さん。お陰様で、今、私は生まれてきて良かったと思っています。本当に有り難う。健さんは、大の酒好きでしたね。だから、今日、私は合掌はしません。貴方の分と、私の分と、2杯並べて杯を置き、干しましょう。献杯。
|