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2月17日
12 日に開催したマスタークラス「ジャズの聞き方〜その1」も、おかげさまでご好評頂き、 3月19日の第2回が楽しみだ、と言っていただいています。どうもありがとうございます。 今回は時期的にバレンタインデーだったので、“My funny valentine”を素材に、色々とやってみたのですが、今回の企画は、まず何よりも私自身がどっぷりとジャズ浸りになったのは、本当に久しぶりでした。
当然、私自身も「大量にジャズを聴く」作業をしたわけで、そんな中で新たな発見や再認識があったりして、大変に勉強になりました。また、好きか嫌いかで言えば、嗜好は基本的に昔と変わっていないものだとこちらも再認識した次第。こういった切り口を「月日の中で変わること、変わらないこと」、そんな風に考えてもまた楽しいもので、音楽は本当に自分を投影して見せてくれますね。奥深いものです。
さてさて、そこで今回は「 My funny valentine 」を作曲したリチャード・ロジャースについて。結論から言うと、突出して好きな音楽家です。私が自分の喜びのために音楽を聴くときには、ついついCDに手が伸びるミュージシャンといえます。もう、ずっと昔から、スタンダードやジャズを覚え始めた頃からなので、感覚的に大好きなのですね。
ロジャース自身、ミュージカルを大量に手がけた作曲家なので、当然、多作です。駄作も多かったでしょうが、傑作、大傑作も枚挙に暇が無い。「 My funny valentine 」はその中でも「特徴的」な作品ではないでしょうか。ちなみにセールスとしてのマックスは、おそらくミュージカル映画の「サウンド・オブ・ミュージック」と思います。「ドレミの唄」を筆頭に「エーデルワイス」・「私のお気に入り」等名曲オンパレード。
さて、「 My funny valentine 」。あの印象的なメロディーも、当時の一般的な曲構造通り、メカニカル(作業的に部分分割しやすい)ですが、そこが実に良く活用されている。また、メロディーの上昇、下降なども実にうまく出来ていて、あの素敵な歌詞と相まって、珠玉の作品となっています。この曲が弾きたくてジャズマンになってしまった人も、たいそう多いそうな。かくいう私もその一人だったし。
ただ、残念なことに、ギターではなかなか、表現しづらい曲で、どうしても持続音の出る楽器(究極は“歌〜ボーカル”)には勝ち目が薄い。ギターでは、ジム・ホールの速いテンポ版が有名ですね。ここ数年で感銘したのはマーティン・テイラーのソロで、ボサノバリズムでやったもの。でも、究極の決定版がギターには無いですね。残念だな。
ロジャースはずっと私のフェバリット・ミュージシャンであり続けています。アメリカ産音楽の人では、マイルス・デイビス、ネルソン・リドルと並んで。多分、これは生涯変わらないと思います。
こんな風に、長年にわたり敬愛し続けられるミュージシャンに出会ったのは、本当に幸せなことと思います。そして、その人の作品を自分でも弾くし、編曲するし、リスナーとしても楽しむ。まあ、ひとつの究極の形でしょうな。
そして、ギターはいつでもこの欲求に応てくれる。そのためにも、もっともっと上手くなりたい、上達したいと思うのです。
だから私は、年々、この欲求が高まっているような気がします。音楽の深み、高みを知れば知るほどギターで上手く、自分の心が満足するレベルで弾きたい。険しいですが、何物にも変えがたい道。
最近、「人の心は金で買える」と公言した粗末な馬鹿者が逮捕され、物議をかもしていますが、そんな大馬鹿者が時代の寵児ともてはやされ、その価値観に巻き込まれた人たちがこれほど沢山いる現代日本。だからこそ、本物の音楽を知り、愛し、学んで欲しいものだと思います。人生でもっとも大事なものは、どこにも売っていないと。
1月20日
イヤー、寒いですね〜!雪の被害が出たり、すごいですね。東京でも強い寒さが12月から続きます。皆さん、体調管理は如何でしょうか ?
さて、私は先週関西へ行ってまいりました。家内の実家がある大阪を拠点に、姫路や京都も行きました。今回はとても楽しく過ごせた滞在で、満喫し、大満足しております。
まずは往路。羽田―伊丹と飛行機で行ったのですが、その日は天気がとても良くて、もう、フライト中はずっと、子供のように窓に貼りついて、地図のような景色を見ておりました。しかし、ワクワク見ている間にあっというまに着いてしまったなぁ。羽田を発って、すぐに横浜(ランドマークタワーや三日月のビルが見えて)。あれが大井川かしら ? なんて言ってる間に、富士山。いつも関東側から見ているので、南、そして西側と多角的に堪能できて、嬉しかったです。とても美しかった。天気が良い日の国内線て、楽しいですね。病み付きになりそうだ。
姫路城(別称「白鷺城」の名のとおりの美しさ)にも、初めて行きました。生憎その日は雨模様だったのですが、天守閣に向かう城内には最低限の照明しか無くて暗く、往時の風情を偲ばせ、また一興でした。あの巨大な城は、2本の大柱が天地を貫いているようで、それについての記述にも感銘しましたが、その柱に触って意識を集中すると、柱から伝わる「気」がものすごくて、大きなパワーをもらいました。私は方々で、頻繁に木に触って「気」をもらうのですが、この大黒柱は凄かったなぁ!この日は朝から首痛だったのですが、一発で治ってしまった。
私は毎日ギターに触っている時間が長いので、「木」が発する「気」には慣れ親しんでおります。以前、ある人から「神社の大木に触ると体の邪気が抜ける」との教えを受け、それ以来の習慣なんです。まあ、そんなことで、感銘を受けた姫路訪問でした。(ここ数ヶ月物色していたリュックも、姫路の商店街で気に入ったのに出会い、購入したし)
大阪では、昨年ペペ・ロメロさん来日の折に知遇に恵まれ、お付き合いを頂いている大野ギター音楽院の大野朱美先生と会食の機会を持つことが出来、あまりの楽しさ、嬉しさに浮かれに浮かれて、酔っ払ってしまいました。そのときに食べたものは、皆おいしかったのですが、初で印象深かったのが、「くわい」を2mm程度の薄切りにして素揚げし、一塩したもの。ジャガイモとも違う食感、後味でなんとも感心しました。料理人のセンスが良いと、全てがおいしくて楽しくなりますね。日ごろの研鑽が伝わります。日々の精進が大切なのは、我々ギタリストも同じですね!
また、阪急宝塚線「三国」(家内の実家の最寄り駅)の商店街に、酒屋さんの店内にワイン立ち飲みスペースを設けている店があり、昨年10月に行って以来、今回も楽しみにしておりました。ワイン数種と変り種日本酒が少し。チーズや洋風おつまみがあって、とても気軽で楽しいお店。今回は、カヴァのハーフボトルを飲んだり、また、日本酒(度マイナス数十の超甘口)など気軽に楽しめました。
以前のギター日記でも書きましたが、私の旅行にはサイレントギターが必須。最低限の練習のためですが、今回は昨年12月から使い始めた新兵器、ギター練習機も持って歩きました。これは主に、電車での移動中にやってます。今回も、近郊在来線などでやりました。ギター演奏は体にとってはスポーツと同じなので、一日たりとも怠るわけにゆきませんから。
さてさて、そんなかんなで楽しい関西でしたが、休暇というのは、あっという間に過ぎてしまうもんですね。非日常の楽しさはやはり楽しい。でも、自分の本意をまっとう出来る日常があればこそでしょうけど。
ところで最近、生徒さんの間で、「出産」関係のオメデタが続いていて、嬉しい限りです。元気で無事生まれ、育って欲しいと願ってやみません。人間、生まれてくるときは、皆に願われ、待たれ、祝福され、歓迎されて生まれてきたいものだし、関わる人間全てが心から「ウエルカム」の笑顔で喜びを分かち合いたいものですね。
1月1日
明けましておめでとうございます。皆さんにとって 2005 年は、どんな年だったでしょうか ? 私にとっては、良い年であったし、不思議な年でもありました。
ソロCD「遠い日のソナチネ」が発表できたこと、そしてフォーマルな形でのリサイタル開催と、アーティストとして形を作れたことは昨年の大きなポイントでした。
また、久し振りのパパ(ペペ・ロメロさん)来日。そして、その機会が4月、9月と2度もあったこと。そこでパパと過ごせた素敵な時間は、私にとっては最高の時間でした。ギターテクニックに関してもご指導を頂き、それを元にテクニックの再構築に取り組み、大きく変革出来たし、今も益々進化しています。
このように、自分の努力が形になったことが、私にとってはとても良いことだったわけで、その結果として、これらが切掛けとなり生まれた出会いは、まさに「ご褒美」とも言えるのではないかと思います。
また、昨年、御入学いただいた生徒さんたちとの出会い、そして以前から通っていただいている皆さんとの、より深まるお付き合いなど、教室を接点とした交情は一層の深化を得て、喜びに耐えません。
昨年は災害や凶悪犯罪など、私に直接の関係は無かったのですが、胸に重い出来事も相次ぎました。自然災害はワールドワイドに猛威を奮い、ハリケーン「カトリーナ」に至っては、ディキシーの町を廃墟と見まがうばかりの悲惨な状態に変えてしまい、その傷跡は今も拭われていません。
これらの原因の一旦として、地球温暖化=二酸化炭素排出問題が、昨今の自然災害因子として語られることは一般常識化しているし、これは明らかに「便利さ=過剰なる浪費〜それは人間の求む豊かさとして、本当に必要なのだろうか?」という文明論が根底にある、ある意味では非常にパーソナルな問題(私の幸せな人生の形はこうなの、という選択がもたらす結果として)であるわけです。
また、「個人の心の闇」が起因となる犯罪の多発。特に子供対象の、あまりにも残虐な犯罪の多発には、胸が裂ける想いです。そして、こういった類のニュースに触れたとき、私は、かつて見た映画のある台詞を、戦慄を持って思い出します。それは或る犯罪者が聖職者に対して投げる台詞で「お前や、お前の希望を作ったのが神ならば、この俺の性格を作ったのも、お前らの神だ」というものです。
根深い問題ですね。しかし、こんな恐ろしいことが頻発する時代も、きっと私達の個人的な側面が、大きな影響を与えているだろう、と思えるのです。私達は「自分にとっての幸せなこと」をあまり無責任に標榜し、その結果が「後は知らぬが幸せ」とばかり、インチキな個人主義を振り回し、社会に対して無責任になり過ぎてはいないか?と思えるのです。
そして、こんな日々の中、私にとってギターと音楽が必要なのだ、との事実は益々大きくなっているような気がします。まずは私に個人的に幸せ感や喜びを与えてくれるし、それを通して人間的に成長できる。精神を磨く鏡であるわけです。
前述した様なニュースに触れ、生活する中で感じるのは、「子供の頃に愛された経験を持つことは、その機会を持たなかった人に比べ圧倒的に幸せ」ということです。その愛された原体験が「愛を感じ、受け、そして与える愛」の基になる、ということ。
ギターも同じだと思うのです。上達のうえで重要なのはモチベーションですよね。それは「感動した経験」がすべての基になり、成立している、とも言えましょう。「この感動を誰かに伝えたい」という想い、それが原動力なのかもしれません。「初心忘れるべからず」の「初心」は、この感動の原体験のことなんですね。
パパ(ペペ・ロメロさん)は常々、「音楽は愛だ」と言います。この言葉が本質的に理解されるには、或いは、様々な経験やステップが必要なのかもしれないし、誰にでも感覚的に理解されるのかもしれない。その辺が芸術、音楽の良いところですね。
自分の音楽への誠意が、音楽を紐解く鍵だし、上達の轍となることは間違いありません。だから、今年も頑張ってゆきたいです。そして、生徒の皆さんや、私の音楽を聞いていただく皆さんと、色々なことを学び、共有したい。喜び合い、祝いを分かち合いたいと、切に願っております。
さてさて、新年でもありますので「今年の目標」について書いてみましょう。私が 20 代の頃、 40 代の知人が、毎年正月に「今年の目標、慎重 185 センチ、体重 80 キロ」と言っておりました。彼は、体格に恵まれなかったことがコンプレックスだったわけ。その頃は無責任にこのジョークを笑っていましたが、自分が同じ年になってみて、あながち冗談ばかりでなく、ある心情の切実な発露だったんじゃぁないか?と思えてきました。
最近読んだ本で、「人生は精神の修行の場であって、ある意味で“諦め”を学ぶ場である」と、心に強く響くフレーズを見つけました。これは、受けての年齢によっても、大分受け止め方が違うだろう、と思いました。皆さんには如何でしょうか ?
「私の今年の目標は?」
はい、ギターを通じて沢山の素晴らしい人たちと出会い、学び、様々な切掛けに恵まれたいです。そして、結果としても自己実現をしてゆきたいと、切に願っています。
今年もよろしくお願いします。