ペペロメロ情報>スペシャルインタビュー2
セリン以下C: 誰も怪我しないなんてことはわかっていたのさ!みんなをちょっと怖がらせてやろうと思っただけなんだから!(爆笑)
R:翌日、セリンはその新兵教育のプログラムから外されて(笑)、今度はある教会の神父のサポート役に回された。教会での神父の務めを助けるためにね。しかしセリンは、この仕事にもあまり熱心に取り組まなかった。
ただ、幸運だったことは、その神父はたくさんのレコード・コレクションを持つ熱心なクラシック音楽愛好家で、熱狂的なモーツァルト・ファンだったのさ。したがって、セリンが米国陸軍で行った任務は、その神父の膨大なレコード・コレクションに索引を付け、整理・体系化することだったんだ。
のちにこのレコード・ライブラリィはセリンが仕えたサリヴァン神父自身によってラヨーラ大学へ寄贈された。まぁ、それによってセリンは軍隊内でクラシック・ギタリスト、クラシック音楽家であることが知られたわけだ。
その頃、父は陸軍にいるセリンへある一本のギターを贈った。それは父が初めて注文し、そして受け取ったコルドバのミゲル・ロドリゲスのギターだった。そのギターはセリンが最も愛するコレクションの一つになったんだけど、そのギターは最初、軍隊へ送られたんだよ。
だからセリンは、陸軍に於いてギターを受け取ったこと、またその頃には陸軍内に於いて、クラシック音楽家として認められたことをよく憶えているはずさ。
又、その軍隊にはもう一人のクラシック音楽愛好家がいた。彼はユーゴスラビアからの移民の息子で、航空産業のある技術を発達させる仕事をしていた。後に大金持ちになったその青年の名前は、ジェームス・ルーカスといい、当時ルーカス青年はある夢を持っていた。それは、コンサート・ミュージシャンのマネージャーになることだった。そして、その頃ルーカスはなんとなくセリンに出会った。軍隊でね。
私達一家がルーカスに初めて会ったのは、私達がセリンを訪ねて軍へ会いに行った日のこと。他の兵士やその家族達を乗せたバスに乗って、私達はロスの郊外まで行った。激しい雨の日でね。目的地にバスが到着し、皆は雨の中へと降り立ったのさ。すると、タクシーへ乗り込もうとしていたある若い兵士が我々を見つけ「どうぞこのタクシーをお使い下さい」と言ってくれた。
ギターを持っていた私達を気遣って、彼が乗り込もうとしていたタクシーを譲ってくれたのさ。この親切な若い兵士がジェームス・ルーカスだったんだ。
その日、私はセリンとのデュオで数曲演奏した。他の兵士やその家族の為にね。まあ、ともかく兵役を通じ、セリンとルーカスは良い友人同士となったのさ。
ある日、セリンはルーカスを我が家に連れてきた。その頃、ルーカスは、自身の「コンサートマネージャーになりたい」という夢は、セリンによって叶えられると思っていたんだ。ソリストとしてのセリン・ロメロによってね。ルーカスはセリンの演奏を大変気に入っていたから。
しかしセリンは、四重奏団としてのロメロスをルーカスに紹介したかったんだ。だから、セリンは我が家にルーカスを連れてきた。我が家でルーカスと初めて話し合ったあの日を、昨日のことのように思い出すよ。
我々のロスでのコンサートは大々的な成功を収め、レビューも全て好意的なものだった。そこでルーカスは、ロメロ四重奏団を本格的に売り出す決意をし、ニューヨークへ行き、各地の名門コンサートホールにてのコンサートをプロモートする作業に入った。その時のコンサートツアーはサンフランシスコを始め、シカゴのオーケストラホール、ボストン・ジョーダンホール、ニューヨーク・タウンホールと、大規模なものだった。幸運にもこのコンサートツアーは大成功し、あらゆるプレスに載ったレビューで絶賛されたんだ。
ルーカスのプロモーターとしての手腕は全く見事なもので、我々は金銭的にも成功することが出来た。1961年、我々のこの4つのコンサートのプロモーションの為にルーカスは、なんと10万ドル以上つぎ込んだんだよ! そのおかげもあって、その3ヶ月程後にはカーネギーホールやリンカーンセンターでもコンサートをすることができたのさ。本当に、素晴らしい大成功だね。
ニューヨークでの最初のコンサートの後、数社のレコード会社が接触してきた。マーキュリー、RCA、ビクターなどがね。各社共それぞれニーズが違ったんだ。例えば、RCAは四重奏のみの録音を希望していた。
しかし、我々は各自のソロや二重奏なども積極的に録音したかったんだ。だから、私達の希望した条件に最も合致したマーキュリー・レコードと契約したんだ。
次の年の1962年は23本のコンサートを行った。その当時、我々は自動車で移動しながらコンサートツアーをしていたんだ。それは大変素晴らしい経験だったし、素敵な想い出が一杯あるよ。。





