ペペロメロ情報>スペシャルインタビュー5
T: 今年2001年はロドリーゴ生誕100周年ということで、『アランフェス協奏曲』を筆頭に、ロドリーゴ作品の演奏機会も大変多いですね。
R:
父は、私が知る中で最もエレガントなギタリストだったよ。時に炎の如く力強く輝かしい音色で、またある時にはクリーンで透明でクリアなサウンドで。
現在の私や兄弟達が持っている美点は、全て各々が父から受け継いだものだよ。まさしく父の一部なんだ。父の美点を鏡写しのようにね。父は輝かしく、且つ名人的で、まさに突出したサウンドを持っていた。全く巨大な存在だよ。
これらのことを父は常に、信じがたいほどのエレガントさとクラシシズムを失わずに行っていたんだ!全く、エレガントなタッチだったよ!
T:ミランの『幻想曲第16番』は、貴方にとって特別な曲ですよね。1993年録音のアルバム「スペインの夜」での演奏内容と、1998年録音の「父が教え給えし歌」でのバージョンは大分違う。また、リサイタルのオープニングに必ず弾きますよね。だから、この『幻想曲第16番』についてのお話をして頂きたいのですけれど。
R:ロドリーゴは私達家族にとって、特別な存在で、とても大切な友人だった。2年前のあの日、妻のカリッサとグラナダで休暇を過ごしていると、「ロドリーゴがたったいま亡くなった」との電話をもらったんだ。翌朝、早々に駆けつけたので、最後のお別れをすることが出来たわけだけど。
お前が聴いた先日のサグントでのコンサート(※1)は、ロドリーゴ没後2周年の記念コンサートだったよね。ましてや、サグントはロドリーゴの生誕地ということで、まさしく記念碑的な性格の強いコンサートで、私は何か特別な気持ちになっていたんだ。
あの日、サグントの街にいると、ロドリーゴが生を授かった輝かしい喜びと、既にロドリーゴを失ってしまった悲しみとが、同時に心に去来した。もちろん、生と死は人生の中に共にあるものだけどね。また、ロドリーゴとの想い出も胸に去来した。
何度となく共に仕事をしたこと、いくつもの協奏曲を彼の前で弾いたこと、彼と彼の作品から沢山学んだこと、友として素晴らしい時を共に過ごしたこと等が、一瞬のうちに心を駆け巡ったんだ。あの日私はそんな想いを胸にステージへ上がり『アランフェス協奏曲』を弾いた。もちろん、彼を失ったことは悲しい。しかし、彼が世界に残してくれたもの、それは紛れもなく偉大な美だ。少なくともそれによって世界はより楽しいものになったし、又、彼の魂をその音楽の中に感じられることは、とても嬉しいことだ。私はいつも『アランフェス協奏曲』を弾くたびに思うのだけど、この曲はなんと沢山のことを世界へ、そしてギターへ与えてくれたんだろうね!
私はロドリーゴという人間が存在したことを賞賛するし、かつ私達が友人同士で互いにその関係を楽しめたことは、本当に幸福だったと思っている。
だから私は常に、彼を失った大きな悲しみと、今言ったとおりの大きな喜びとを心の中に持っているのさ。
T:3月のブルゴス指揮、スペイン国立管弦楽団での大規模なアメリカツアー(※2)を始め、本当に沢山、『アランフェス協奏曲』を演奏なさっていますが、そんな中で『アランフェス協奏曲』に対する考え方が変わったことはありますか?
R:例えばお前がある曲を毎日弾くとするよ。すると、その曲は昨日と違う感じ方や考え方をお前に与えてくれるはずだよ。まるで親しい友人のようにね。曲というものは、単純に奏者と相互作用を生み出す程度のものではなくて、日々、共に成長し変化するものなんだよ。だから、毎日何かの発見があるし進歩しているんだ。
したがって曲というのは、慣れ親しんだ弾き慣れたものであり、かつ毎日変化する、常に新しいものでもあるんだよ。家族や夫婦が日々を共にし、互いに年老いてゆくのと同じなんだ。それは重大な意味を持つことなんだよ。
私にとって『アランフェス協奏曲』は、紛れもなくそういったものに間違いない。だから、3月のツアーの時も「今日もまた『アランフェス協奏曲』か‥」と思うよりは、毎日が愛しき旧友と共に互いを深く知り合い、かつ高め合う素晴らしいチャンスの連続だったよ。
T:最近はすっかり貴方のメインギターになったリトルペペのギター。今回のヨーロッパツアーにお使いの新作No.24も益々素晴らしいギターですが、そのお気に入りの製作家について話してください。
R:ハッハッハー!良い質問だ!(大笑)私が“リトルペペ”と呼んでいる息子がギター製作家になったことは、例えようもなく嬉しく、かつ誇らしいことだと思っているよ。私達に続く世代の若い人達に、ギターに対し敬意を持ち、愛し、全力で関わるということが受け継がれてゆくのを見るのは、とても幸運だと思うし、本当に嬉しいよ。父と私達兄弟がそうだったように、今度は私達と彼等若き世代と。息子は製作家に、甥っ子達はギタリストになってくれたんだから。
もう一つ、私にとってラッキーなのは、リトルペペが工房を私達の家、つまり私の両親、セレドニオとアンヘリータが建てた家に作ったことなんだ。毎朝リトルペペが工房へ仕事にやってくると、私は彼の仕事ぶりを見、そしてその楽器に対して私なりの貢献が出来る。−というのは、ギタリストと製作家という関係において、ギタリストが楽器に望む要望や期待を伝えることなんだ。
私はこの役目が大好きで、昔はミゲル・ロドリゲスの工房を訪れる度、やったものさ。それが、今や我が息子と共に出来るのだから、全く最高の幸せだよ!
T:出来上がったギターがみんな欲しくなりませんか?
R:お前の察するとおり、私の中のギタリストとしての部分はこう言うさ。「こんな素晴らしいギターを他人に渡してなるものか!」ってね(大笑)。
しかし、私の中の父親の部分はこう言うのさ。「世界中のギタリストに、息子の素晴らしい仕事ぶりを見て欲しい!」って。そこで、リトルペペと私はこういう取り決めをした。リトルペペはギターに製作した順に番号をつけているんだけど、全ての10番台のギター、要するに10番、20番、30番・・・といったギターはリトルペペが私にプレゼントしてくれる。そして、その他の各9本のうち、私は1本だけ購入を申し込むことが出来る、という風に。最近はウェイティング・リストがとても増えてしまっているので、本当に売ってもらえるかどうか心配なんだけど(笑)。
全てのリトルペペのギターは、完成した時点で私が試し弾きするわけで、そこで、あるギターを気に入ってしまったとしても、さっき言った条件以外だったら「このギター、皆に内緒でパパに売っておくれ」って言ったってダメなんだよ(笑)。
T:パパ、今日はとても古い懐かしい話から新しいニュースまで、興味深い楽しいお話ばかりでした。長い時間、どうもありがとうございました。
R:こちらこそ。とても楽しかったよ。





